庭の桜、隣の犬

庭の桜、隣の犬

庭の桜、隣の犬



房子と宗二の夫婦は変わっている。
仕事の忙しい宗二は、たまプラーザの分譲マンションに帰ってくるのが大変なので、都内の会社の近くに下宿の部屋を借りたいと言い出す。
房子は「そういうのって夫婦でいる意味があるのかな。」と言い返す。
一緒に暮らすために宗二が働いているのであって、働くためにべつに住むってなんかゆがんでる、と。
房子は、ほんとは「会社のそばに下宿なんて、学生時代をもう一度やりなおすみたいで、なんだかとんでもなくわくわくする。いいなぁ。ずるい」と思ったのだ。

お正月はどこいこうかとか、宝くじで三億円あたったらどうしようかとか、「仮定」の話ばかりしている弟夫婦。このふたりが変わっているのか、それともどこでも夫婦とはそうした会話をするものなのか房子にはわからない。


「私との生活がなければこの下宿も存在しない。とすると、ぞっとするほど空っぽだったこの空間は、宗二ではなく私が作り出したものなのではないか。」
と考えるに至って、宗二が離婚だのなんだの馬鹿らしいと言うのは、房子といっさい関わらなくても何もかわならい、がらんどうの部屋がひとつなくなるだけのことだ、という意味なのだろう。そして房子が結婚して言いることに意味がないというのは、いっしょにいたって何もかわらない、がらんどうの部屋がひとつ存在するだけだということだった。それは表裏のおなじことなのではないか。自分達はまったくおんなじことを主張しあっているのではないか。

いっしょにいる意味なんてないと気づいてから、自分たちは夫婦らしくふるまうのが妙に上手になった。




いろんな夫婦がいると思うけど、房子と宗二のような夫婦がいてもいいな、と思った。