私という運命について

私という運命について

私という運命について

まさに、亜紀の数十年を綴った自伝かとも思える物語。
田中角栄元首相が亡くなった年の12月17日の忘年会から話は始まる。
各所に時事ネタ(?)を取り入れつつ、亜紀とモト彼佐藤康の周りの人生について、物語は進んでいく。
佐藤康に求婚されて、5日後に断った亜紀は、康の母、佐智子からの長い手紙をもらった。そのときは読む気もなく、ほっといた手紙を、彼康と会社の後輩亜里沙が結婚する当日、ホテルのレストランで読むことになった。
亜紀さん。選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもないのです。未来など何一つ決まってはいません。しかし、だからこそ、私たち女性にとって一つ一つの選択が運命なのです。

福岡へ転勤し、そこで出会った中学生の明日香と、恋人純平。酔っ払い運転で明日香を怪我させてしまった順平と別れ、東京へ戻ってきた亜紀のもとへ届いた通院中の明日香の手紙。

亜紀の弟・雅人と沙織夫婦の話(重い心臓病で出産には耐えられないだろうと言われていた沙織が結局、子どもも産むことができすに亡くなってしまう)と沙織から雅人への手紙。

そして、亜紀と別れてからたばこを吸うようになった佐藤康は肺癌になり、亜里沙とも離婚。その康と数年ぶりに出会った亜紀が出したプロポーズの手紙とその返事の手紙。

康と結婚して、肺癌の再発しているかどうかの検査の前日に交わした約束。
「もしも僕が先に死んで、亜紀がいま言ったようにあの世というものがあったなら、きみに知らせに来てあげるよ」
「もしもあの世があったなら、僕は白い馬になってきみのところへ行くよ。僕が死んで、それからしばらくして白い馬がきみの前に現れたら、それは僕で、あの世はあったということだ」
検査結果は結局、再発はしておらず、一応完治と言われ、亜紀は妊娠。幸せな日々が続くかと思われた。
ここで物語がハッピーエンドで終りにしてもよかったかとも思うのだけど、実に緻密に組み立てられたストーリー。亜紀の出産当日、実家の長岡に帰っていた康。2004年10月23日土曜日。
わざわざ日にちを記すところに隠された何かがあるな、と読み進めていると、亜紀の出産の場面。
「唐突に全身が激しく揺さぶられる感覚が亜紀を襲った。」
地震だから心配ないですよ。もうおさまりましたよ」
その次の瞬間、大きな赤ちゃんの産声が手術室中に響きわたった。
地震中越地震のことだ。
康は、亜紀の出産の知らせをうけ、新幹線へ向かう前に、今一度神社にお参りして、その帰り、煉瓦造りの大蔵の脇を抜けて裏門に出る途中で地震が起きたのだ。死因は頭蓋骨の陥没骨折。
息子・康一郎とともに長岡へやってきた亜紀。神社の春の大祭で、御神馬行列を見た亜紀は、
「その長い行列の真ん中を馬方に口取りされてゆっくりと進む一頭の馬の姿に釘付けになった。それはほんとうに真っ白な馬だった。」

ここで物語りは終わった。